疱瘡除けの白兎

高崎の兎神信仰と疱瘡神(群馬県高崎市)


群馬県高崎一体に「兎神」を祀る神社が分布しています。いわゆる神の使いではなく神そのもの。神兎研として重要な聖地です。

高崎遠景

田植えの季節です。高崎の水田からは、軽井沢の山々が望めました。
この高崎から前橋にかけて、兎神を祀る神社が点在しているとのこと。神社本庁が出している神社のデータベース「平成祭データ」では次の8社が記載されています。

稲荷神社 (稲荷新田町) 宇迦之御魂神 (配祀)菅原道眞 素菟神
五霊神社 (貝沢町) 鎌倉權五郎景政 建御名方神 大山祇命 宇迦之御魂神 菅原道眞 素兔神
日枝神社 (新保町) 大山祇命 大物主命 經津主命 宇氣母智神 埴山姫命 素盞嗚命 菅原道眞 素兔神 譽田別命 伊邪那美命 大日ルメ命 健御名方神 木花咲耶姫命
飯玉神社 (中尾町) 宇氣母智神 菅原道眞 健御名方神 須佐之男命 素兔神
大住神社 (南大類町) 菅原道眞 (配祀)大日ルメ命 健御名方神 宇迦之御魂神 品陀和氣命 須佐之男命 白菟命 軻遇突智神
島名神社 (元島名町) 彦狹嶋王 (合祀)倉稻魂命 瓊瓊杵命 健御名方命 木花佐久夜毘賣命 菅原道眞 大日ルメ命 市杵嶋姫命 大物主命 白菟命 須佐之男命 應神天皇
島名神社 (島野町) 彦狹嶋王 大山祇命 大日ルメ命 (合祀)伊邪那岐命 伊邪那美命 木花開耶姫命 市寸嶋姫命 宇迦之魂神 須佐之男命 菅原道眞 迦具土神 (主神)因幡之白兔
和泉神社 (京目町) 菟神 須佐之男命 (合祀)倉稻魂命 菅原道眞 大日ルメ命 八衢比古神 八衢比賣神 久那斗神 經津主命

高崎の兎神マップ神の名前として「素兔神」「白菟命」「因幡之白兔」「菟神」がみえ、“因幡の白うさぎ”を祀っているようです。白兎神はもちろん、鳥取の「白兎神社」を筆頭に山陰に祀られている神ですが、あまり他の地域ではみられません。が、関東の高崎に忽然と現れる「兎神信仰」。これはかなり驚きです。

疱瘡神色々調べていくと、どうやらこの地域の兎神様は、疫病である「疱瘡」から村を守護するために祀られているらしいことが分かってきました。疱瘡とは天然痘のこと。非常に致死率が高い疫病で、世界中で何度も大流行し、かつてはこの病に対して人類は為す術がありませんでした。まさに人類最大の敵。幸い現在ではE.ジェンナーにはじまる予防接種により1980年に根絶宣言が出されています。
日本においては、この病は疱瘡神ほうそうがみにより、もたらされると信じられてきました。村から村へ渡り歩く疫病神。これに対抗するため、①疱瘡神を祭り上げておとなしくしていてもらう ②疱瘡神を適当な依代に憑かせて村の外に送る ③疱瘡神が嫌うまじない・物をおく ④疱瘡神に対抗できる神に祈る などの方法がとられていたようです。

源為朝 歌川国芳

疱瘡神に対抗する神の代表は、源為朝。平安末期の武将で剛勇無双をうたわれ、その支配した伊豆諸島からは疱瘡神が逃げ出したと言います。浮世絵師歌川国芳は為朝が疱瘡神を降伏させる(もう悪さはしないと手形の証文を出させている)絵を描いています。
構図的に少しわかりにくいですが、絵の中で、手形の証文を出している老婆と赤い餅を食べている子供が疱瘡神です。
そしてその周りを取り囲んでいるのが、疱瘡除けに活躍していた「仲間」です。子供の疱瘡除けであった「赤物」と呼ばれる赤い玩具である、赤ダルマ・赤ミミズク・鯉熊。疱瘡神が吠え声を嫌うとされた犬、そして、呪力を持つとされた赤い目の兎。

「因幡の素兎」伝説で、ワニに皮を剥がれても回復した素兎は、皮膚に発疹ができる疱瘡からの快癒を想像させたのかもしれません。またちょっと神兎研としてはつらいのですが、その血や肉・排泄物が疱瘡に効くという療法もありました。さらに、疱瘡からの守護神として崇敬を集めていた「鷺大明神(出雲の伊奈西波岐いなせはぎ神社)」には、白兎神が合祀されており、そのつながりもあったように思えます。

人類最大の敵と戦っていた兎神様。
一気に参拝してまいりたいと思います。

①和泉神社 (京目町)

和泉神社(京目町) 境内

最初に訪れるのは、京目町の和泉いずみ神社です。群馬県高崎市京目町1741。
かなり開けた境内。神兎参りには最高の良い天気です。

和泉神社(京目町) 鳥居

鳥居は脇にありました。鳥居が東向き。拝殿は南向きです。こちらが参道なのかな。
「正一位和泉大明神」と扁額にあります。神階、高いのではないでしょうか。

和泉神社(京目町) 拝殿

小さめではありますが、瓦屋根の立派な社殿です。中央を走る冠瓦とのし瓦が重ね合わされていて重厚。軒丸瓦にある神紋は「向かい雀」でした。

祭神 菟神 須佐之男命 (合祀)倉稻魂命 菅原道眞 大日ルメ命 八衢比古神 八衢比賣神 久那斗神 經津主命

祭神は「菟神」が筆頭となっています(「平成祭データ」より)。ネット掲示板「神奈備別荘」では「上野國西群馬郡神社明細帳」には、

祭神「白兎神」境内末社三社、「岩神社」祭神塞神「琴平宮」祭神大物主命「稲荷社」祭神倉稲魂命 (明治12年9月29日の記録)

とあることが報告されており、更に近くの八坂神社(須佐之男命)を合祀したようです。

西群馬郡大澤村字宅地「無各社八坂神社」祭神須佐之男命、境内末社 弐社
疱瘡社 祭神「素兎神」 由緒不詳「社宇」間口壱尺五寸 奥行弐尺「板葺」明治12年10月

とすると、当初は兎神のみが主祭神になっていたということで、ここが高崎の兎神信仰の中心地ではないでしょうか。残念ながら周囲に人がおらず聞き込むことができませんでした。こちらには現在は使われていませんが、豪華な山車(屋台)もあるらしい(こちらより)。例祭は3月15日と10月9日とのことで、もう一度訪れてみたいと思います。

また、こちらの記載として「疱瘡社」という表現が出てきており、やはり兎神は疱瘡からの守護神として祀られていたとみて良いようです。和泉いずみという名前はどこから来ているんでしょうね。“因幡の素兎”で泉と言えば、鳥取白兎に神社にある、傷を癒した蒲の穂が生えている「不増不減の池(御手洗池)」が思い出されます。池とかあったりしたのかな?

和泉神社(京目町) 本殿

本殿は赤です。赤は疱瘡神が嫌う(あるいは逆に依り憑く)色とされており、源為朝が祀られている神社でもよく赤に塗られています。

和泉神社(京目町) 石祠群

「疱瘡社」や「疱瘡神」の社は、神社の脇や村の外れなどに祀られていることが多いため、今回はこのあたりも重点的に見ました。近年の開発により行き場がなくなった石祠や石碑が集められています。
が・・・

和泉神社(京目町) 石祠 和泉神社(京目町) 石祠

・・・石が風化しており、文字をほとんど読むことができません。残念。

和泉神社(京目町) 石祠 和泉神社(京目町) 石碑 道祖神?

最後の石碑は、恐らく見ざる言わざる聞かざるの三猿を刻んだ「庚申塔」かな? ちょっと兎にも見えたのですが・・・。
こちらはまたお邪魔したいと思います。

②稲荷神社 (稲荷新田町)

稲荷神社 (稲荷新田町)

2社目は稲荷新田町の稲荷神社です。おいなりさん。こちらでは「とうかじんじゃ」と読んでいるかもしれません(後述の石碑群でルビがふってありました)。群馬県前橋市稲荷新田町57。

稲荷神社 (稲荷新田町) 鳥居

赤い明神鳥居。扁額には「稲荷神社」とだけあります。隣の手水舎にある神紋は、稲荷神社によく使われる稲紋(左廻り一つ稲紋)。

稲荷神社 (稲荷新田町) 拝殿

拝殿です。赤いですが、こちらは稲荷神社のお約束の色です。

祭神 宇迦之御魂神 (配祀)菅原道眞 素菟神

「平成祭データ」によれば、稲荷神社としての宇迦之御魂神を主祭神としており、菅原道真(天満宮)と「素菟神」を配祀しています。「上野國西群馬郡神社明細帳」から、

明治40年9月14日許可、仝村大字川曲字薬師無格社菅原神社、仝境内末社一社ヲ合併セリ
祭神(追記)「菅原道真公、素兎神」

とあることが報告されており、もともと天満宮境内にあった末社の「素兎神」が、こちらの稲荷社に合祀されているようです。

稲荷神社 (稲荷新田町) 本殿

こちらの本殿も赤。稲荷神社としての彩色でしょう。

稲荷神社 (稲荷新田町) 神狐稲荷神社 (稲荷新田町) 八坂様?

神使の狛狐。そして「八坂神社」の石祠です(軒下に彫ってある文字が読めました)。「平成祭データ」には、この摂社の八坂神社(スサノオ)の記載はありませんでした。

稲荷神社 (稲荷新田町) 石祠 稲荷神社 (稲荷新田町) 石祠

こちらはちょっと分からない石祠。平成祭データの言う「配祀」が、本殿の中に入っているものなのか、外側の摂社として祀られているものなのかですが、ひょっとしたらこの中のどれかが神兎様の石祠かもしれません。

ちなみに、稲荷神社から南に少し行ったところに、猿田彦の石碑が大量に立っている場所がありました。

猿田彦石碑群 (稲荷新田町) 猿田彦石碑群 (稲荷新田町)

ストーンヘンジのように約200基もの大小の「猿田彦」の石碑が立てられています。「史跡 猿田彦大神の石碑群」とありました。猿田彦大神は、天孫降臨の際に邇邇芸命を導いた神です。庚申塚としても現れるのですが(庚申の「申(さる)」つながり)、こちらは導きへの祈りということらしい。「明治二十七年から三十年にかけ日清戦争の出征兵士の無事帰還の祈願や感謝の気持ちで兵士の親族縁者が建立した」とのことです。

③日枝神社 (新保町)

日枝神社(新保町) 鳥居

3社目は、新保町の日枝神社です。群馬県高崎市新保町1411。神明鳥居。
隣にある華王けおう寺(天台宗)は別当寺のようです。寺と神社が建つ前(中世以前)は環濠屋敷だったとのこと。

日枝神社(新保町) 拝殿

瓦葺の拝殿です。「平成祭データ」による祭神は、

祭神 大山祇命 大物主命 經津主命 宇氣母智神 埴山姫命 素盞嗚命 菅原道眞 素兔神 譽田別命 伊邪那美命 大日ルメ命 健御名方神 木花咲耶姫命

となっており、神社名からすると「山王信仰」ですが、合祀されている神名がかなり多いですね。案内看板には、

大正9年無格社琴平宮、稲荷神社、八坂神社、熊野神社、諏訪神社を合祀し、日吉神社とも言われます。創建年月は不詳ですが、滋賀県坂本に鎮座する延喜式内日吉山王大社より勧請されたと伝えられています。(境内『案内看板』より)

「上野國西群馬郡神社明細帳」よりは、

仝村字北沖「無格社八坂神社」境内末社 三社
疱瘡社 祭神「素兎神」「由緒不詳」「板宮」「社宇」「方弐尺」明治12年9月
※祭神「大山祇命」は、明治12年9月明細帳では「大山咋神」

と報告されており、八坂神社と一緒に疱瘡社の「素兎神」が合祀された流れのようです。

日枝神社(新保町) 本殿

本殿を後ろから。拝殿と同様の瓦屋根を持っています。神紋は瓦の方は「左巴」。狛犬の台座についていたのは「立ち葵」で、これは隣の華王寺の屋根と一緒でした。

日枝神社(新保町) 石祠 日枝神社(新保町) 道祖神と石祠

一応、石祠も。祭神不明・・・。庚申塔もありました。拝殿向かって右に大量に立っている石碑は、近くの河川改修のとき(昭和58年)に移されてきたもののようです。

それにしても、境内の案内看板から兎神(疱瘡社)の表記が消えているのが少し寂しいなと。

④島名神社 (島野町)

島名神社(島野町)

4社目。高崎IC降りてすぐの島野町の島名神社です。群馬県高崎市島野町676。

島名神社(島野町)鳥居

小さめの鳥居。明神鳥居ですが、貫が横に飛び出てないですね。扁額には「島名神社」とあります。

島名神社(島野町)拝殿

瓦葺の拝殿。手前の灯籠は新品でした。「平成祭データ」を引きますと、

祭神 彦狹嶋王 大山祇命 大日ルメ命 (合祀)伊邪那岐命 伊邪那美命 木花開耶姫命 市寸嶋姫命 宇迦之魂神 須佐之男命 菅原道眞 迦具土神 (主神)因幡之白兔

「彦狹嶋王」については、次の元島名の島名神社で後述。こちらは8社の中で唯一「因幡之白兔」の神名となっており、「合祀」のあとに「主神」と分けてあります。この意味がわかればよいのですが、想像するに、合祀された神々は本殿にあって、それとは独立して境内摂社などとして祀られているのでは?と思うのです。

「上野國西群馬郡神社明細帳」よりは、

仝村字壱ツ屋「無格社熊野神社」境内末社 四社
疱瘡社「由緒不詳」祭神「因幡之白兎」「社宇方壱尺」明治12年9月30日

と報告されています。現在も合祀元の熊野神社が「一ッ谷神社」として存在しているらしい。
「高崎市誌由緒」によれば、

由緒不詳なれど古老の伝によれば、当社境内外一円は往昔、三島の原と云ひ伝へ此の原の中に鎮座している島名神社の地域は現今尚三島と称す。人皇第十二代景行天皇の御代、彦狭王東山道十五ヶ国の都督として未臨の途次病を得て薨ぜらるるや、王子御諸別父王追慕の情止み難く遂に此地に王の威霊を祭祀し、三島大明神と尊崇せり爾来神霊灼然として一郷に輝き人民の尊信頗る厚かりき改題に七ツの奇石あり。時将師軍議せしとき腰掛石と世々伝えけり、上野国神名帳に従四位島名明神と見えたれば是即ち当社なるべしと社号を島名神社と改称し今日に及べり。昭和十七年八月十六日明治三十九年勅令第九十六号に依り神饌幣帛料供進神社として指定された。(『高崎市誌由緒』より)

「因幡之白兎」の摂社的なものと、上記7つの奇石を探しましたが見当たらず。「正一位三嶋大明神」の扁額は安置されていました。ちなみに先述の「一ッ谷神社」には巨石が一つあるようです。
島名神社(島野町)目貫彫刻

拝殿には、唐子や龍の彫刻があります。

島名神社(島野町)本殿

こちらは本殿。中央の瓦の神紋は左三つ巴。軒丸瓦は右流れ三つ巴。

島名神社(島野町)石祠 島名神社(島野町)石碑 三峯神社

不明な石祠が2つ。その横に庚申塔と、三峯神社の石碑、狛犬的なものがあります。鳥居の外側にも庚申等が2つありました。が、「因幡の白兎」を主神としているような場所は見つからず・・・。聞き込みが必要ですね。

⑤島名神社 (元島名町)

島名神社(元島名町)将軍塚古墳

5社目です。元島名町の島名神社。群馬県高崎市元島名町162。
こちらは「将軍塚古墳」または「王山古墳」と呼ばれる古墳の上に鎮座しております。全長90mの前方後方墳。写真だと左手が前、右手が後。明治時代に後方部で、埋葬されている人骨と獣型鏡・石釧・太刀・鉈が発掘され、また後に土器も周辺から見つかっています。築造は4世紀前半あるいは後半。
群馬は上野国こうづけのくにと呼ばれていましたが、さらに前には「毛野国(けの もしくは けぬ)」と書き、古墳時代に数多くの古墳が作られていました。規模も畿内・吉備に次ぐもので、古代の一大勢力があったと考えられています。

島名神社(元島名町) 鳥居

古墳の脇に沿って参道があります。「村社 島名神社」の碑が立っています。

島名神社(元島名町) 参道

社殿は、古墳の前方部に鎮座。

島名神社(元島名町) 拝殿

拝殿に参りました。ガラス張りの社殿です。「平成祭データ」より、

祭神 彦狹嶋王 (合祀)倉稻魂命 瓊瓊杵命 健御名方命 木花佐久夜毘賣命 菅原道眞 大日ルメ命 市杵嶋姫命 大物主命 白菟命 須佐之男命 應神天皇

彦狹嶋王ひこさしまおう」を主神とし、他11柱を合祀しています。「白菟命」の神名が見えます。

境内の由緒書より、

創立年月は不詳なり。「日本書紀」景行天皇の条に彦狹嶋王が東山道十五国の都督に任命され、薨去の後は上野国に葬られたとあり、築造時期は四世紀後半と推定される。これ即ち當社の始なり。(略) 明治十年五月、明治四十年四月 付近の天降社等十一社を本社境内社として祭祀し、明治四十三年十一月十六日 許可を得て本社境内社を合祀せり。(境内『島名神社由緒』より)

とあり、「上野國西群馬郡神社明細帳」よりは、

仝村字中内出「無格社天降神社」境内末社 四社
疱瘡社 祭神「白兎命」「由緒不詳」「社宇」間口四尺 奥行五尺、明治12年9月30日

と報告されています。疱瘡社として「白兎命」が合祀されたのがわかります。

ちなみに主神の「彦狹嶋王」は豊城入彦命(崇神天皇皇子)の孫とされ、由緒書にあるように東山道15国の都督に任命されていました。ちなみに豊城入彦命とよきいりひこのみことは、東国の治定にあたったとされ、上毛野君や下毛野君の始祖です。

島名神社(元島名町) 本殿

本殿です。神紋は11個の丸(星)に囲まれた左巴紋がついています。
由緒書には「白兎命」は当初境内社として存在し、そのあと合祀されたと明記されていますので、兎神様はこちらの中に祀られているということになるかと。

島名神社(元島名町) 石祠 島名神社(元島名町) 神社合併記念碑

一応、石祠も。合祀の記念碑も建っていました。

⑥大住神社 (南大類町)

大住神社(南大類町) 外見

6社目いきます。南大類町の大住おおすみ神社です。群馬県高崎市南大類町692 。

大住神社(南大類町) 境内・鳥居

木々に囲まれた境内。

大住神社(南大類町) 拝殿

拝殿は瓦葺です。のし瓦を交互に隙間を作るように重ねているため、屋根が高くなっています。例によって「平成祭データ」によれば、

祭神 菅原道眞 (配祀)大日ルメ命 健御名方神 宇迦之御魂神 品陀和氣命 須佐之男命 白菟命 軻遇突智神

「菅原道眞」つまり天神様を中心に、神々を配祀しています。境内に記念碑があったらしく(見逃した)ネットから引用しますと、

抑御社ハ御成規ニ基キ明治四十三年一月合併ノ許可ヲ得村内ニ鎮座セル元村社神明宮諏訪三社八坂二社八幡宮稲荷神社疱瘡社秋葉社ノ十社ヲ當菅原神社ヘ合祀社名ヲ大住神社ト改穪境内ヲ廣ヶ従来ノ松杉ニ櫻樹数株ヲ加ヘ外廊ニ金目木ヲ植ヘ御社ノ風到ヲ○ス而シテ宮殿ノ改築ヲ圖リ明治四十四年四月起工シ同四十五年二月竣工ヲ告ク経費千数百円也茲ニ於テ同年三月十九日ノ祭日ヲトシ上棟式及遷座式ノ大典ヲ擧行シタリ
右ノ顛末ヲ石ニ刻シ以テ後世ニ傅フ
(○は□の中に田)

とあり、「上野國西群馬郡神社明細帳」よりは、

仝村字渕ノ上「無格社諏訪神社」境内末社 三社
疱瘡社 祭神「白兎命」「由緒不詳」「社宇」「間口壱間 奥行壱間弐尺」明治12年9月30日

と報告されています。諏訪神社にあった疱瘡社である「白兎命」を、菅原神社へ合祀して名前を「大住神社」としたということでしょう。

大住神社(南大類町) 扁額 大住神社(南大類町) 目貫彫刻

目貫の彫刻には、波に亀があしらわれています。亀と天神の合ったイメージがあるのは亀戸天神のせいでしょうか。

大住神社(南大類町) 本殿

拝殿からつながる本殿も瓦葺です。

大住神社(南大類町) 秋葉社?

石祠もいくつか。こちらは「秋」とあるので、秋葉社でしょうか。記念碑の由緒にも「秋葉社」は見えますが、そこまで石祠の数はないので、当時合祀されたものとは違うかもしれません。「白兎命」も本殿に合祀されているかと思われます。

⑦五霊神社 (貝沢町)

五霊神社(貝沢町)

そして7社目です。貝沢町の五霊ごれい神社。群馬県高崎市貝沢町332。
高崎の鬼門鎮護の寺として知られます(ホームページもありました)。実はこの神社も古墳の上に鎮座しています。この「五霊神社古墳」は前方後円墳。現在は前方部が削られており、後円部分に社殿が載っている形です。時期は6世紀後半。埴輪なども並んでいたようです。5番目に訪れた将軍塚古墳より200年ほど下り、古墳の形態もより畿内中央の影響を受けていると思われます。

ちなみに上写真、左下に見える四角い砂場は、かつて火渡り神事が行われていた名残とのことです。

五霊神社(貝沢町) 拝殿

階段を登ると鮮やかな赤の拝殿があります。「平成祭データ」より祭神は、

祭神 鎌倉權五郎景政 建御名方神 大山祇命 宇迦之御魂神 菅原道眞 素兔神

ということになっており、「鎌倉權五郎景政」は当地を治めていた和田氏が鎌倉出身であったため勧請してきたようです。「上野國西群馬郡神社明細帳」では、

境内末社 五社
疱瘡社 祭神「素兎神」由緒不詳 建物 大破ニ付畳置、明治12年9月

と報告が。「大破」・・・(涙)

ただ、境内の由緒書がありまして、
五霊神社(貝沢町) 由緒書

御祭神
鎌倉権五郎景政、建御名神、宇迦之御魂神
(略)
境内神社
三峯神社 大山祇神、八坂神社 須佐之男命、神明宮、疱倉神社 素菟神、天満宮 菅原道真公

と記されています。今回の巡拝で初めて文献ではなく「素菟神」と書いてあるものに出会えました。さらに「境内神社」とあるということは、本殿に入っていないということかもしれません。

五霊神社(貝沢町) 本殿

赤い本殿の後ろに回り込むと・・・

五霊神社(貝沢町) 石祠

石祠がいくつか。ひょっとしてこの左側にある、

五霊神社(貝沢町) 石祠

これが「畳置」ということでしょうか? とするとこちらが「素兎神」様・・?
ただ一番右側の石祠には狐が祀ってあることから稲荷であり、「宇迦之御魂神」は祭神として本殿にいらっしゃいそうなのと、畳置石祠との間に「琴平明神」がありこちらは由緒書に記載がありません。

確信は持てないながら、手を合わせて参りました。(今度神社の人に聞いてみましょう)

⑧飯玉神社 (中尾町)

飯玉神社(中尾町)

ついに8社目。今回、最後の神社です。中尾町の飯玉いいだま神社です。群馬県高崎市中尾町347。

飯玉神社(中尾町) 鳥居

「村社」の文字が削られていますが、今も変わらず崇敬をうける中尾総鎮守です。ホームページがありました→こちら

飯玉神社(中尾町) 鳥居

瓦葺の明神鳥居をくぐると、

飯玉神社(中尾町) 拝殿

小ぶりながらも、唐破風のような重厚な瓦屋根を持つ拝殿があります。

飯玉神社(中尾町) 拝殿彫刻 飯玉神社(中尾町) 彫刻

彫刻、瓦装飾なども凝っており、水に関するものが多いようです。鮭が登っている意匠は珍しい。

さて「平成祭データ」によれば、

祭神 宇氣母智神 菅原道眞 健御名方神 須佐之男命 素兔神

とあります。「飯玉」とは宇気母智神うけもちのかみの五穀を司る神性を表します。由緒を読むと、宇気母智神の神社に、近くの天神社(菅原道真)と諏訪社(健御名方神)を合祀したようです。「上野國西群馬郡神社明細帳」では祭神の内の「健御名方神」が合祀されるときに、

仝村字原「無格社諏訪神社」境内末社 弐社
疱瘡社 祭神「素兎神」「由緒不詳」「石祠」明治12年8月30日

と報告があります。「石祠」はヒントですね。ただ、境内前の掲示板にあった由緒書では、少し祭神が異なっており、

飯玉神社(中尾町) 由緒書

御祭神
宇気母智神、須佐之男神、美留目之神、菅原道真公、建御名方神
末社
山神社 大山祗命、八幡社 応神天皇、地神社 埴山毘賣神

となっており、「美留目之神みるめのかみ」が祭神が入り、「素兎神」が消えてしまっています(涙)
時代の流れなのでしょうか・・・

境内には猿田彦の石碑などに混ざって、いくつか詳細不明の石祠がありました。

飯玉神社(中尾町) 石祠 飯玉神社(中尾町) 石祠

ただもちろん、この地に兎神様がいたことは間違いありません。改めて参拝をしまして、境内を出ました。

まとめ と お疲れ様

8社巡拝を終え、やれやれとすぐ隣を見ると「天然温泉 天神の湯」なる温泉施設がありました。もちろん「天神」は飯玉神社に祀られていた天神様でしょう。

飯玉神社(中尾町) となりの天神の湯

源泉かけ流しだそうです。

飯玉神社(中尾町) となりの天神の湯 ソースカツ丼

群馬のB級グルメの「ソースカツ丼」です。卵で閉じていないカツ丼。キャベツが無い方が通常らしいです。んー、ビールに合う(車なのでノンアルです)。

飯玉神社が窓の外に見えます。
「疱瘡」という病が根絶されて、この病について神に祈ることは無くなったかもしれません。そもそも様々な病が疫病神の仕業と見る、ということがなくなったこと自体、疱瘡神やそれと戦い抑えてきた神々を忘れていく流れなのかもしれません。

ただ、結局は今でも原因不明の病、治癒困難な病が存在します。祈ることによる精神の安定と奮起は、現代西洋医学においても必要なものに違いありません。
神兎研としては、この信仰があったことを「伝えて」いくことが重要と考えています。

(参拝:2015年7月)

(疱瘡神と兎神との関連について、もう少しまとめたいと思います。冒頭に書いた、病魔を振りまくので祭り上げる「疱瘡神」と、兎神のような病魔からの守護をする「疱瘡社」の混同が、“消えゆく神”の原因になっている気もしていますので)


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