羽黒山 験競べ(兎跳ね)

出羽三山 羽黒山の兎(山形県鶴岡市)


東北の神域「出羽三山」へ参りました。まず1日目に羽黒山へ登ります。信仰厚く修験道が古くから行われていたこの地に、神兎の姿がありました。

鶴岡から月山を望む

新潟から羽越本線で山形県へ入ります。日本海を眺めながら北上し、やがて鶴岡の平野へ。遠くに出羽の山々が見えてきました。

出羽三山地図

「出羽三山」とは、東北における修験道の中心地です。峻険な山と深い森の中で、羽黒山、月山、湯殿山の三山を中心に、古来より信仰を集め、修験者達を肉体的、精神的そして、霊的に高めてきました。羽黒山は「現在」すなわち現世での幸せを叶え、月山は「過去」である祖霊たちを祀り、湯殿山は「未来」であって命が生まれ出ずる地と言われています。この三山をめぐることは、江戸時代には「三関三渡の旅」と呼ばれる「生まれ変わりの旅」として、多くの人々が参拝してきました。当時、西に位置する伊勢神宮へのお参りと対を成すものとして、「西の伊勢参り、東の奥参り」として一生に一度は参拝したい地であったようです。

本日は羽黒山。鶴岡市内から山域へと登っていきます。門前町には、参拝者達を泊めるための宿坊が並んでいます。残念ながら予約が取れなかったので、市内のビジネスホテルでしたが・・、泊まれば、山々の恵みであるキノコや山菜を使った精進料理が頂けるとのこと。

羽黒山 随神門前の鳥居

羽黒山の参詣道の入り口です。鳥居から随神門へと続きます。

羽黒山 随神門

鳥居をくぐってすぐあるのが、赤い柱を持つ山門である随神門。ここから参詣道が続いています。神仏分離以前は仁王尊と左大臣右大臣が左右を守っており、現在ではに悪霊の侵入を防ぐ門番の神々(随神)である豊石窓神とよいわまどのかみ櫛石窓神くしいわまどのかみが鎮座しています。

俗世と神域の境目を超えて入りましょう。

羽黒山 継子坂

随神門をくぐってしばらくは、下りの参詣道「継子坂」となります。本殿までの石段は2446段(この下りは含まれてはいないのかな?)距離にして1.7km。驚くほど太い杉の大木の間を下っていくと、霊気を帯びたようなややひんやりとした清浄な空気に変わっていきます。

羽黒山 継子坂下の摂社

坂を下ると、摂社が多く並びます。磐裂神社、根裂神社、五十猛神社、大年神社、天神社などが並びます。自然神が多いですね。

羽黒山 神橋から望む祓川神社と須賀の滝

その先を進むと、清らかな川・祓川を赤い神橋で渡ります。岩盤を伝って落ちる須賀の滝の手前にあるのは祓川神社です。祭神は、瀬織津比咩を始めとする清めの神々。かつてはこの川で禊を行って身を清めてから、本殿へ向かっていたとのことです。

羽黒山 爺杉と五重塔

ひときわ太い杉が爺杉。周囲の杉並木も300-500年と相当樹齢はありますが、こちらは1000年と推定されています。天然記念物。そして奥に五重塔が見えてきます。

羽黒山 五重塔

東北地方では最古の塔とされる五重塔です。国宝です。創建は平将門とも言われ、現在の塔は600年前に再建されたものとのこと。かつては羽黒山は神仏習合の信仰であり、仏教の建築も多くありましたが、明治の神仏分離により仏教系の坊などはほとんど廃され、この五重塔が残りました。現在は大国主命を祀り、千憑社(ちよりしゃ)とされているようです。なんにせよ、この素晴らしい建築が残ったのは喜ばしいですね。

羽黒山 表参道

さて、ここから参詣道は登りの石段が長く続いていきます。多くの参詣者が踏み磨いてきた2446段の石段。結構きつい・・・いや、これも修験なのです。

羽黒山 表参道

緩急を繰り返しながら、着実に登っていきます。一の坂から二の坂。途中、茶屋もあります。かき氷に力餅。がんばりましょう。

羽黒山 表参道

白衣に金剛杖の参拝者もいらっしゃいます。宿坊などでもレンタルをしているらしい。より山々へと溶け込むことができそうです。修験の山伏の装束は市松模様となります。

羽黒山 表参道

二の坂を登り切ると、しばらくなだらかな石畳となります。この辺りはかつて本坊があった領域。

羽黒山 表参道

太い杉の木々の間を抜けていきます。

羽黒山 表参道鳥居

三の坂を登りきって、赤い両部鳥居。扁額には大きく「羽黒山」とあります。ここまでで結構汗だくですが、達成感があります。

羽黒山 表参道 手水舎

鳥居左手に手水舎がありまして、

羽黒山 表参道 手水舎 兎

その正面、蟇股に、白い神兎が一柱跳ねていました。羽黒山では特にここまで神兎に関するものがなかったので嬉しい。脇にある説明書きには「この手水舎の水は 月山四合目・六合目から引いてきた清水です。先ず手を洗い口を漱いで心身を清めてお参りください」とあります。水と波兎の関連の意匠ということに加えて、月山=月の使いである兎の関連もあるかもしれません。

羽黒山 表参道 厳島神社と蜂子社

鳥居をくぐると、平らな山頂の境内になります。これまでの摂社よりもより大きな社が並びます。こちらは厳島神社と、神社創建の蜂子皇子を祀る蜂子社。全国から神々が集まってきています。

羽黒山 三神合祭殿

そして更に進むと、羽黒山の三神を祀る合祭殿です。威厳に満ちた佇まい。写真ではなかなか伝わらないのですが、かなり巨大です。

羽黒山 三神合祭殿

本殿全体を眺めるために、池の反対側から。高さは28m。大体8階建てくらいのビルの高さです。

羽黒山 三神合祭殿

別角度から。どっしりとした茅葺き屋根の厚みは2m以上。朱塗りの柱や壁との対比も見事です。

羽黒山 三神合祭殿

では参拝をいたしましょう。こちらは、羽黒山、月山、湯殿山の三山を一緒にお祭りしています。拝殿と本殿が一緒になっている神社としては独特の形。もちろん寺と見れば一般的ではあります。月山と湯殿山は、山頂や渓谷にあって参拝が困難な時期もあるため、三山をまとめてお祭りすることができる場所となっています。

出羽(いでは)神社 伊氐波神(いではのかみ)
稲倉魂命(うがのみたまのみこと)
月山神社 月読命(つきよみのみこと)
湯殿山神社 大山祗命(おおやまづみのみこと)
大己貴命(おおなむちのみこと)
少彦名神(すくなひこなのみこと)

本来はこちらは「出羽神社(いではじんじゃ)」であり、国名である「出羽(でわ)」を冠する神社。
創祀年代は一説には推古元年(593年)の開山と言われています。当初、崇峻天皇の第三皇子である蜂子皇子が、3本の足を持つ霊烏に導かれ、この地に出羽神を祀りました。やがて平安期に入ると、仏教との集合が進み、出羽神を観音菩薩、月山神を阿弥陀菩薩、湯殿山神を大日如来と考え、三所大権現として三山一体の信仰へと変わって行きました。江戸時代の繁栄を経て、明治に神名を神道式に呼び替え、現在に至っています。

三本脚の霊烏に導かれたという逸話は、神武天皇が大和に入るときに導いた八咫烏を思わせますね。三本脚の烏、あるいは八咫烏は、太陽の化身として考えられていることが多いようです。「羽黒」はこれが由来であると思われます。

ただなぜ「月山」と呼ぶのかについて、月読命を当初から祀ったからなのか、阿弥陀菩薩を祀ったからなのか(阿弥陀菩薩は通常だと西方浄土の仏ですが、大日如来の太陽に対して、月とされることもある。ただ一般には月は勢至菩薩)、あるいは全く別の理由で「月山」と呼ばれており、そこに神仏を当てはめたのかがいまいち分かりません。

三本足の烏を神使としているのが、同じく修験道の熊野の地です。熊野との対照も色々ありそうな気がしています。

羽黒山 三神合祭殿

拝殿の中。中央に月山、右側に羽黒山、左側に湯殿山を祀っています。

羽黒山 三神合祭殿 丑像

出羽三山はそれぞれご縁年があり、羽黒山は午歳、月山は卯歳、湯殿山は丑歳となっています。中でも最後に開かれた湯殿山の丑年をもって、出羽三山の開山の年とされているため、丑年の今年(2021年)は、非常にありがたい年。この年に詣れば12回分お参りしたことに匹敵するご利益があるとのこと。ありがたや。

羽黒山 蜂子皇子 尊像参拝

コロナ禍の中、開山をされた蜂子皇子の尊像も公開されていました。人々の苦しみを払ったことから能除仙(のうじょせん)、能除太子とも呼ばれています。かなり独特の風貌と伝えられているようで、多くの人々の悩みを聞き背負った結果この姿になったとも伝えられています。

開山は飛鳥時代。崇峻天皇が蘇我馬子らにより暗殺された際、崇峻天皇の第三皇子であり、対立豪族である大伴氏の母を持つ蜂子皇子は、蘇我氏から逃れてこの地へやってきました。まず羽黒山を開き、同年に月山、12年後に湯殿山を開きます。崇峻天皇といえば、歴史上唯一臣下により暗殺された天皇。父王の無念も抱き、この地での修験に入ったのかもしれません。

羽黒山 蜂子社

こちらは蜂子皇子を祀る蜂子社。三神合祭殿の左奥にあります。

羽黒山 蜂子皇子御墓

また蜂子皇子のお墓も、やや離れた場所にありました。宮内庁治定陵墓で最北端とのことです。

羽黒山 山頂 摂社

蜂子皇子の開山から1000年以上、多くの修験者が集まり、東北での信仰の中心になっていきました。勧請されてきた各地の神社も摂社として居並んでいます。稲荷社、大山祇神社、白山神社、八坂神社、東照宮などがあります。

さて、資料館を覗くと、各地からの奉納品や修験者達の資料が収められていました。

羽黒山 三山大盃羽黒山 三山大盃

奉納された大盃には、三山の名前と御縁歳の干支が描かれており、当然月山のところには、丸々とした神兎が描かれています。

羽黒山 修験者

羽黒修験といえば市松模様で獅子の図が入った摺衣。修験者達が行う祭りの中でも有名なのが、大晦日から元旦にかけて行われる「松例祭」です。

「位上(いじょう)」と「先途(せんど)」と呼ばれる羽黒山伏の最高位「松聖(まつひじり)」が2名選ばれ、9月24日から100日の行に入ります。その仕上げ(満願)として行われるのが松例祭です。地元の若者衆とともに様々な神事が行われます。

境内では、位上方と先途方に分かれて、悪魔に擬した「ツツガムシ」をかたどった2体の大松明を作る「大松明まるき」を行い、大松明引きなどの、勝ち負けと大松明の燃え具合によって翌年の豊作と豊漁を占う神事。迫力のある火祭りです。位上方が勝てば翌年は豊作、先途方が勝てば豊漁と占われるらしい。

同時に、本殿の中でも位上方と先途方に分かれ「験競べ(げんくらべ)」が行われます。「烏飛び」と「兎跳ね」と呼ばれる神事があるとのこと。験競べとは一般的には身につけた修行の程度を競うものですが・・動画を見たのですが・・ちょっとルールが分かりません。
NHK新日本風土記アーカイブス「松例祭 出羽三山の年越し」

羽黒山 験競べ(烏飛び)

「烏飛び」は、神前で向かいあって左右にならんだ位上方、先途方各6人の修験者が、烏が飛ぶ姿を競うように行われているようです。判定基準は高さと美しさ。烏が一般的に指すのは太陽。12という数字は12ヶ月を表すようなものかもしれません。

羽黒山 験競べ(兎跳ね)

「兎跳ね」は、中央に現れた兎(兎童子)の両脇に小机が置かれ、修験者が扇子で小机をたたき兎が反応する、、というようなものに見えます。どうやら位上方、先途方のどちらが早いかを判定しているらしい。兎は出羽三山の中心である月山の象徴ということでしょう。前述のNHKの番組では「山伏が机を叩いて祈りを伝え、兎はこれに答えます」と説明しています。この神事の結果?として法螺貝が吹かれ、それを合図に、先述のように境内側で松明が引かれ、厄災の象徴を燃やし尽くします。

神兎研究会としては、月山の神の使いもしくはそのものである「神兎」が、祭りの主役的な位置に座していることが、とても興味深いです。

この神事の意味、どなたかご存知でしたら教えて下さい。

さて・・

羽黒山 山頂駐車場

境内を反対側へ抜けると駐車場。実は、山頂に直接バスが来ています。つまり、石段を延々と登らなくても、こちらからアクセスすれば本殿へ参ることが出来ます(笑)。
一応私は、降りるときにはこちらを使わせていただきました。明日の月山〜湯殿山がハードなはずなので・・。

庄内ざっこ のどぐろ

さてさて、羽黒山から一旦鶴岡市内に降りて夕食です。「庄内ざっこ」はおすすめ。日本海の新鮮な魚介が揃っています。のどぐろの塩焼きは、脂ののった繊細な旨味がすばらしい。

庄内ざっこ

その他、日本海のお作り、だだちゃ豆、笑貝(えがい)のバター蒸し、由良のアジフライ、どれも抜群です。

いよいよ明日は、兎信仰の山、月山へ登ります。

(参拝:2021年7月)


出羽三山 羽黒山の兎(山形県鶴岡市)」への1件のフィードバック

  1. 松浦 康夫

    我が家に伝わる、青銅製の兎の置物があります。 高さ15センチ、重さは2キロ程度です。 卯年の飾り物に取り出して底を見ますと、「 三山神社 社務所竣工記念 大正15年10月30日」と彫られています。 祖父が国の高級官僚として山形県に何年か赴任していたと聞いているので、その折りに頂戴したものかと推測しておりますが、97年前に鋳造されたものゆえ果たしてどういう由来の品なのか? 私も75歳で既に父母も亡くなっており、祖父の代のことは良く分からなくなっております。 お判りになりましたら、ご教示いただければ幸甚に存じます。

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