世界最古の文明エジプト。もちろん太古より兎神様はいらっしゃるのです。生と死。太陽と月。エジプト文明での兎神様を追いかけてみます。
やってきましたのはコロナ禍の合間の江戸東京博物館。
こちらで開催されているのが、ベルリンエジプト博物館の所蔵品の展示会です。日本初公開多数。エジプト文明の豊かさを知ることができる展示が多数ありました。
エジプト文明の発掘品として最も取り上げられるのは、やはり墓に関するものでしょう。ピラミッドしかり。ミイラしかり。
生と死というテーマは、どの時代どの場所でも、最大の関心事として扱われています。限りある人生であるがゆえ、人間は生とは何か死とは何かについて思い悩みます。そして、神々はそのような人たちを救済してきました。
エジプトでは、人の生命は肉体とは別に、「バー」や「カー」と呼ばれる霊魂・精気があると考えられていました。それらが生き続けるために、死した肉体を保存しておく必要があり、それがミイラです。再生を願ったものとも言われます。霊魂「バー」は、死後も地上を巡ることができ、定期的にミイラへと戻ります。現在でいう「魂」に近いかもしれません。ミイラの柩の顔は「バー」が迷わぬために描かれたとも言われています。「バー」は人の頭を持った鳥として描かれます。「カー」は「精気」や「生命力」、あるいは「魄」といったもので、供物(絵として表現されることもあります)をとりながら、生きていきます。また「アク」と呼ばれる、あの世の楽園での霊的存在は、「バー」と「カー」が身体の外で再び合体したものとして考えられていたようです。
ミイラを作る際に、霊魂が宿るとされた心臓以外の重要な臓器は、壺に移され保存されています(心臓はミイラの中に残されました)。肝臓はイムセティ(人間の顔)、肺はハピ(ヒヒ)、胃はドゥアムトエフ(山犬)、腸はケベフセヌエフ(隼)。
また死者の霊魂の死後の旅のために書かれたのが「死者の書」です。あの世で迷ったりして「死ぬ」と永遠に消え去ってしまうというように考えられました。まさにあの世のガイドブックです。
永遠の魂をエジプトの人々は信じ、そしてそれを見守る神々がいました。エジプトは日本と同じ多神教です。自然への畏怖を具象化したアニミズム的な構成となっており、その中でも太陽神ラーは重要な位置でした。日本の信仰と近く親近感がありますね。太陽神の祀られ方は時代によって違いますが、たとえばこの碑は、テーベ(現ルクソール)の地方神アメンと習合した「アメン・ラー」です。
ものすごくざっくりエジプト史を見ると、
①初期王朝時代(BC3000~2650頃)ナルメル王による統一。首都メンフィス。主神はホルス。
②古王国時代(BC2650~2180頃)スネフェル王、クフ王など。太陽信仰が強く、ラー神の本拠地ヘリオポリス中心。ピラミッドや太陽神殿が建設される。
③中王国時代(BC2040~1785頃)メンチュヘテプ2世など。ラー神からは少し離れる。
④新王国時代(BC1570~1070頃)テーベが中心地に。トトメス王、ツタンカーメン王、ラムセス王など良く知られた王達がおり、エジプトが栄えた時期。アメン・ラー神が信仰される。
⑤末期王国時代(BC750~305)末期にはペルシアに制服される
政権により、太陽神は様々な地方神と習合を繰り返しています。
太陽があれば月があります。こちらは月神コンスの像。頭に三日月が乗っています。
神々はしばしば動物の姿でも崇拝されました。
こちらはアヌビス神。冥界の神です。その姿はジャッカル(犬)の頭を持つ神、もしくはジャッカルそのものの姿をしています。
こちらは、頭部がジャッカルのアヌビス神像。
ミイラづくりの神ともされ、死者の魂(バー)をあの世へと運ぶ役目。また転じて医療の神ともなりました。
こちらのセメクト神は、ライオンの頭部を持つ神。ラー神の右目から生まれたとされ「火のような息」で人間を殺してしまうという、疫病を統べる荒ぶる神です。日本の牛頭天王などもそうですが、強い厄災をもたらす神は、逆に鎮まってもらうことにより、厄災から人々を守る神ともなり得ます。このコロナ禍、治めて頂く為にお力をお借りしたいですね。
猫の神もいらっしゃいます。それがこちらバステト神。同じ猫科ということもあり、セメクト神の慈愛の面を持つ神ともされ、愛されたと言われます。
そして展示品の中に・・・
小さな兎像を発見。鮮やかな青緑色の姿で、伏せた愛らしい姿。日本初公開らしいです。
別角度から。体に描かれている点々は、ふさふさとした毛の表現でしょうか。耳を伏せるようにしています。
後ろから。天を向いた腰と尾がまたかわいい。
材質は焼き物のように見えます。青緑色は釉薬でしょうか。(あとこれは、尾ではなくて、折れた部品がこの先についていたのかも)
説明書きとしては、
『かがんだ野ウサギの小像』
Statuette of a Crouching Hare
中王国時代・第12王朝、前1976〜前1794年頃
とだけあります。
出土状況の詳細が無いため、何のための像かが分かりません。護符的なものでしょうか。第12王朝は、エジプト北部のイチタウイ付近に王都を置き(初期王朝のメンフィスの近く)、『ネフェルティの予言』と呼ばれる王を救世主として描く古典が編まれました。『シヌヘの物語』などの文学が生まれた時期でもあります。
手がかりを求めて、ネットで色々検索してみます。
イギリス王室コレクションの兎像です。「オシリス・ウンネファーの紋章」とされています。材質は陶磁器(ファイアンス焼)。ポーズとしては、耳を伏せながら身をかがめているのは同じですね。紐状のものを通す穴が空いています。時代は記載がありませんが、テーベで入手されたようです。(引用元:こちら)。間にあるのはトト神に捧げられたヒヒとあります。
Hare
Hare (emblem of Osiris Unnefer) lying on the ground; front legs outstretched; ears against its flank and decorated with grooves; its head pierced with a hole. Osiris was ruler of the underworld and judge of the dead. Mounted on a black wooden base with three other pieces.
Faience, wood | 1.3 x 2.2 x 0.5 cm (excluding base/stand)
Acquired in Thebes by HRH Prince Arthur, 1875.
「オシリス」は冥界の神です。「ウンネファー(Unnefer/Wenennefer) 」はどうやらオシリスの大神官のようで、Wikiによれば、新王国時代第19王朝のラメセス2世王の時代、アビドス(オシリス信仰の中心地)にいたらしい。
「ウンネファー」をエジプトの文字であるヒエログリフで記載すると、以下ということです・・・
・・・!?
名前の中にウサギが!!そしてヒエログリフの文字一覧の動物のところ(こちら)を見ていったら・・
𓃒𓃓𓃔𓃕𓃖𓃗𓃘𓃙𓃚𓃛𓃜𓃝𓃞𓃟𓃠𓃡𓃢𓃣𓃤𓃥𓃦𓃧𓃨𓃩𓃪𓃫𓃬𓃭𓃮𓃯𓃰𓃱𓃲𓃳𓃴𓃵𓃶𓃷𓃸「𓃹」𓃺𓃻𓃼𓃽
!?「𓃹」がいます!
知らなかった!
ヒエログリフの中で、エジプトの砂漠ウサギ(Dessert Hare)もしくはケープウサギ(Cape Hare: Lepus capensis)を描いたものだと言います。このウサギをエジプトでは「sekhat」と呼んでいたらしい。また、ヒエログリフはそれ自体が意味を持つ象形文字だったり、読み方を表す表音文字であることもあります。その読み方が「ウン」(「wn」もしくは「un」)。したがって「ウンネファー」の「ウン」にウサギのヒエログリフが入っていることは当然なのです。(というか、𓃹のヒエログリフが入っていたので、この大神官が「ウンネファー」という名前であることが分かった、というのが正しいです)ちなみにその後の「𓈖」は「n」で「𓃹」とセットでよく出てきます。最後の「𓀼」は属性を表す「決定詞」と呼ばれるもので、この場合は「高貴さ」を表すようです。
それにしても、ヒエログリフって、文字コード(UNICODE)で表示できるんですね・・。(ちなみに多分表示できない端末もあるので、この付近の文章、何が描いてあるかわからない方もいるかも)
何にせよ「𓃹」は、神兎研としてはとても重宝しそうです。「𓃺」ちょっと小さい子兎もいますね。
話がそれてしまいました。さて、もう少し探索を続けますと、似た兎像がまだ見つかりました。
こちらはニューヨークのブルックリン美術館の所蔵品。「ウサギの護符(Amulet)」とされています。カエルとウサギは生者にとっての豊穣を願ったものというようなことが書いてあります。時代はBC664-30で、末期王国期〜プトレマイオス朝なので、エジプトでは比較的新しい。(引用元はこちら)
ボストン美術館にも、ウサギの護符としていくつかが展示されていました。年代はBC760–332の末期王国期とされています。(引用元:こちら)この時代の護符としては、このウサギは一般的なものだったようです。
ただ、今回のベルリンエジプト博物館のものは、時代が大きく違うのと、穴が開いていないという違いがあるようです。別の願いや用途があったのでしょうか。もう少し情報を集めたいと思います。
エジプトの兎の女神
さて、これだけ動物の姿の神々がいて、ヒエログリフに兎が現れるくらいですから、きっと兎の神様もいらしたに違いないと、ネットを彷徨います。
するといらっしゃいました。
その名も『ウェネト神』。スペルとしては、Unut、Wenut、Wenet。ヒエログリフで、右の形です。「𓃹」が入っていますね。
情報がほぼなく、wikiをまずは引きますと、
元々は蛇の姿をしており「速い者(The swift one)」と呼ばれていました。上エジプトの15番目の州である「野ウサギ州(Hare Nome)(エジプト語ではウェネトと呼ばれる)」の神であり、その首都ヘルモポリス(エジプト語ではウェヌ(Wenu))でトト神とともに崇拝されていたという。後に女性の体とウサギの頭を持つ姿で描かれるようになった。やがて、ホルス神やラー神の教えに取り込まれて行った。
ウェネトの名前は5つのヒエログリフで表記されていますが、文献や碑文にはほとんど登場していない。アメリカの考古学者によって発見された彫刻がおそらく唯一である。
ウェネトの名前がファラオについてのは、エジプトの長い歴史の中で一度だけである。ウェネトの夫はウェネヌ(Wenenu)であり、オシリスやラーの一形態とみなされることもあった。
ウェネトの名前を持つ唯一の王はウナスである。Wikipediaより(翻訳:ちゃぶち)Wikiによれば、古代エジプトにおいて、上エジプト(ナイル川上流部分)の15番目の州(nome)が「ウェネト州」と呼ばれており、「ウェネト」と呼ばれる女神を祀っていたとのことです。各州にはシンボル(旗印的)があるのですが、これが、まさにウサギです。
「𓉆」UNICODE文字でもでるんだなー。
ウェネトは、最初は蛇の姿、やがて、ウサギの姿に変化していったらしい。が、その過程が見つからない。ウェネト州の州都は、トト神崇拝の中心地であるへルモポリスであったため、メジャーなトト神やオグドアド(ヘルモポリスで崇拝されていた8神)に埋まってしまっているのかもしれません。
ボストン美術館に所蔵されている像では、メンカウラー王(右)とハトホル(中央:愛の女神)の隣に、ウェネト州の神格化された女神(左)が立っています(引用元:こちら)
アップしてみると、ウサギの像を載せています。この像がウェネト神と言えないこともない。ちなみに時代は古王国時代(BC2490–2472)です。ギザのメンカウラーバレーから発見されました。
あと、ルーブル美術館に「Unut」の像はあるのですが、こちらはライオンの頭を持った女性のようです。
ただエジプトの兎の女神ということで、多くのクリエイターを刺激するらしく、新たなイラストが生まれつつあります。何千年も経て信仰が復活するようで面白いですね。
ウサギ王
Wikiには「ウェネトの名を持つ唯一の王はウナス」であるという記述もありました。
こちらがウナス王のヒエログリフ。ファラオ(王)の名前は、カルトゥーシュと呼ばれる囲みがつきます。わかりやすい。表音文字「𓃹」が入っています。まさに「ウサギ王」。アルファベットとしては、UnasやWenis、Unisと綴ります。
古王国時代の第5王朝、9代目のファラオで、紀元前24世紀の30年間(BC2345年–紀元前2315年頃)を統治しました。治世の情報はそれほど残っていません。出身がウェネトであるというページがあったのですが、一般的な説ではないようです。ウェネト神を信じていた、とか、そもそものヒエログリフの「𓃹」自体が、音だけではない、ウナス王とウェネト神をつなぐトーテムのようなものだったとか、、あるとロマンありますねぇ(妄想です)。
ウナス王のピラミッドは、サッカラにあります。サッカラは、メンフィス近くの、古くから王家のピラミッドが集まるネクロポリス(埋葬都市)。そのピラミッドは規模としては古王国時代の中では一番小さいようですが、ただその中にあった「ピラミッドテキスト」が史料として大きな意味を持ちました。
ピラミッド内部の壁に目一杯刻まれているヒエログリフ。これは王の死後を助けるための呪文的なものだということで、これらの呪文・思想が、この後「死者の書」へと受け継がれていきました。ウナス王のピラミッドテキストは、その最初期のものとなります。(引用元:こちら)
ピラミッドテキスト内には、ウナス王の名前が多く見られます。これはそれぞれ、死後にウナス王が力を得るための呪文で、王に翼、階段、斜面など天国へ行けるための手段を渡しています。(引用元:こちら)
ウナス王は、死後サッカラ地方で何世紀も祀られていた証拠も残っており、これらの呪文的性質がより宗教性を帯びた結果なのかもしれません。古代エジプトの「ウサギ教」と言えるかもしれません。
それにしてもエジプトの歴史は長いですね。しかもその歴史が、遺跡とヒエログリフでかなり追いかけることができるというのは驚異です。毎年のようにエジプトでは新たな発見があります。神兎研としては「𓃹」の字を注意深く探していきたいと思います。
(訪問:2021年4月)