関東のお寺の中でも、古くから崇敬を集めている成田山新勝寺。江戸時代には江戸っ子達に「成田詣」が流行しました。現在でも初詣ランキング上位に入り、家内安全、厄除け、縁結びなど、人々の願いを聞いてくれています。お邪魔してみると、こちらにも神兎が跳ねてらっしゃいました。
やってまいりました成田山。活気のある大きな門前町。左右に伸びる参道中央に威風堂々とした「総門」が現れます。総欅造りで幾重にもなった斗栱が、重厚感を増しています。平成20年建立。楼上には八対の生まれ歳守り本尊が祀られており、その下の蟇股には、干支が配されています。「歳」や「方位」を意味する要素が多いのは、成田山が「厄除け」「方位除け」「八方除け」といった厄災除けのご祈祷を行っているからかもしれません。
干支ということは、と総門をぐるっと回ってみますと、神兎がいらっしゃいました。ぷりっとした丸みをもった体はたくましく、波間を跳ねる意匠となっています。
最初から神兎に出会えて、神兎研としては実に嬉しい。先に進みましょう。
次に現れるのは仁王門です。こちらもまた豪壮。江戸末期、天保2(1831)年に再建されたとのことで、国の重要文化財です。左右には朱塗りの仁王像。また中央には「魚がし」と描かれた巨大な提灯が吊り下げられています。これは築地の魚河岸からの奉納で、江戸時代からの伝統であるとのこと。
仁王門をくぐって階段を上がると、広い境内へと到着します。
正面にある大本堂。巨大です。内陣の広さは360畳あるらしい。不動明王を祀り、毎日、護摩木と呼ばれる薪を仏前で燃やして祈る護摩祈祷が行われています。
成田山の縁起は、平安時代へ遡ります。939年(天慶2年)関東の武士である平将門が勢力を伸ばし、朝廷と敵対し「新皇」を名乗ったいわゆる「平将門の乱」。本拠地は成田の北西30kmほどの茨城県岩井市付近で、関東8国を攻め落とし“武士による独立国家”を作りました。これに対して朝廷は、平貞盛・藤原秀郷らで討伐軍を編成すると同時に、寛朝大僧正により不動明王の像を関東へ運び、護摩を焚いて戦乱を鎮める祈祷をしました。21日間の祈祷の最後の日、風上で有利に戦局を進めていた将門は、急に変わった風に乗った矢に当たり討ち取られます。
その後、朱雀天皇より「神護新勝寺」の寺号を授かり、不動明王を祀る成田山が開山されました。
不動明王にまつわるお話としては、歌舞伎の初代・市川團十郎が、跡取りに恵まれていないときに祈願をし成就したのが、こちらのお不動様と言われており、その御礼に不動明王をテーマにした演目を上演しブームを作りました。市川家が「成田屋」と言われる由縁です。また團十郎の見得(にらみ)は、こちらのお不動様から生まれたと言われています。
本堂より手前に、非常に美しい三重塔が配されています。1712年建立。国の重要文化財として指定されています。
近寄ってみると分かるのが、圧倒的な色彩美を持った屋根。朱、青、緑、白で幾重にも重なる雲が描かれています。扉や欄間、柱に至るまで施されている彫刻も見事です。
朱塗りの柱の間にはめこまれた壁面には、様々な神獣の彫刻が配置されています。
その中のひとつに、、
神兎の彫刻もありました。3柱の神兎が頭を寄せ合った図案で、珍しいですね。3柱集まって文殊の知恵を得ているのかもしれません。
こちらは釈迦堂で、以前の本堂とのこと。こちらも国の重要文化財です。
兎ではありませんが、彫刻が素晴らしい。江戸から続く成田山新勝寺の栄耀を、これらの建物からも感じることができます。
さて、境内から出まして、少し参道を散策してみます。
参道脇には干支の石像が配されており、こちらが卯です。スフィンクス的な姿。
守り本尊の文殊菩薩と書かれていますね。
参道のお土産さんに、勾玉を始めとする天然石アクセサリーを取り扱う「みすまる」さんがありました。
軒先には、勾玉を掲げる、兎の石像があります。
メインの色とりどりの勾玉に混じって・・
ガラス細工の兎達。これはかわいい。
「一期一会」と書いてあります。神兎研としては買わざるを得ません。
で、参道を歩いていると、いい匂いに誘われるわけです。こちら成田の名物は鰻。「川豊」はその中でも有名店です。
店頭で、手早く鰻を割いて、串を打っています。これが美味しくないわけがない。
うな重! ふわっとした身に程よい脂。タレの甘みも程よい感じです。
名刹には必ず美味いものがありますね。
お不動様と方位と歳を守る神兎達。縁がある時期にまた訪れてみたいと思います。
(参拝:2019年7月)