高千穂神社 本殿 兎

高千穂神社の神兎と鬼と天孫降臨(宮崎県高千穂)


天孫降臨神話の地、高千穂。神が降りたと言われるこの地にも、神兎が跳ねていました。

高千穂峡

10月の後半、高千穂の山々は紅葉に染まり始めています。
こちらの高千穂峡を訪れるのは、ほぼ30年ぶりですが、渓谷の神秘としか言いようがない荘厳な姿は、人の数十年ごときでは変わるはずもありませんでした。

高千穂神社と神兎

高千穂神社 鳥居

高千穂峡のすぐ近くにあります高千穂神社です。鳥居は銅葺き。参道入口には由緒書があります。

高千穂神社 由緒書

 当宮は初め高智保皇神(たかちほすめがみ)と申し上げて、この地に宮居をさだめられた天孫瓊々杵尊、木花開耶姫以下三代の神々をお祀りし、千百余年前の仁明・清和両朝には、日向国最高の御神階が授けられたことが、六国史に記されております。
 神武天皇の皇兄三毛入野命(みけぬのみこと)が御東征の途次高千穂に帰られて日向御三代をおまつりされたのが初めで、その子孫が長く奉仕されて後には三毛入野命御夫婦と八柱の御子とを合祀して十社大明神の神名で親しまれ、古くより高千穂八十八社の総社として崇められてきました。(略)

〜参道案内板より〜

社伝によれば、神武天皇の兄である三毛入野命が、大和への東征の途中で帰ってきて、日向三代(瓊瓊杵尊、火折尊(山幸彦)、鸕鶿草葺不合尊)をお祀りしたとあります。三毛入野命は、記紀では神武天皇の東征の最中、熊野の手前で、“波頭を踏み、常世に行った”と記されており亡くなったとされています。ですが、実は生きていらした!ということで、その後日談が伝わっている形になっています。
ただ、実は瓊瓊杵尊が降り立った「高千穂」の候補が複数ありまして・・それで「日向国最高の御神階が授けられ」というような主張も入っているようです。

神兎研は、あくまでも、各地の神兎へこめられた願いと神徳を知るために活動してますので、正誤を争うのではなく、神社仏閣への各々の祈りの構造を掘り下げていきたいと思います。

高千穂神社 参道階段

参道の階段を上がります。比較的新しい親子狛犬が脇を固めています。この先の拝殿の中には、源頼朝が奉納した鉄製の狛犬もあります。太い木々に囲まれ静謐な雰囲気。

高千穂神社 境内 杉

階段をのぼると境内があります。こちらも太く高い杉に囲まれています。「秩父杉」や「夫婦杉」と呼ばれる巨木もあり、神社の長い歴史を感じます。

高千穂神社 拝殿

拝殿です。入母屋で唐破風の向拝を持った建築。無垢の木肌のままで、威厳を持ちながらも自然に溶け込んでいます。

高千穂神社 拝殿

拝殿では神主様が祝詞を上げてらっしゃいました。独特の字体の扁額。神紋は十六八重菊紋のようです。

高千穂神社 拝殿 注連縄

高千穂の注連縄は特徴的です。右から7本、5本、3本の房が下がっています。「しめ縄」は「七五三縄」とも書きますが、これが本来の形なのでしょうか。「七は天神七代、五は地神五代、三は御祖(みおや)の神(日向三代)」を表しているとのことです。(地神五代と日向三代はかぶっていますが…)

あれ?そういえば、ねじり方が普通と逆ですね。通常だと逆時計回転でねじるところを、時計回転でねじっているようです。出雲大社が逆とよく言われますが、あちらはねじり方は逆時計回転のまま、取り付けが左右逆ですので、それとも違います。
この後確認したら、高千穂の他の地域の神社も、同様の逆(時計)回転のようです。何か意味があるのでしょうか。

高千穂神社 本殿

こちらが本殿。五間社流造の立派な造りもそうですが、無垢の木の自然な凄みがありますね。安永7年(1778年)建立で、国の重要文化財です。
そして通常は脇障子がある本殿奥の右側には・・

高千穂神社 本殿 三毛入野命

強い顔立ちをした彫像があります。こちらが三毛入野命(みけぬのみこと)であると伝えられています。この地で「霜宮鬼八荒神(しものみやきはちこうじん)」を退治した場面。足元で顔を歪めているのが鬼八でしょうか。

改めて祭神を確認いたしますと、主祭神は一之御殿の高千穂皇神(たかちほすめがみ)と二之御殿の十社大明神。高千穂皇神は、日本神話における「日向三代」と称される皇祖神とその配偶神、つまり、天孫降臨から神武天皇とご兄弟を誕生させるまでの神々です。十社大明神は、三毛入野命と妃神である鵜目姫(うのめひめ)命、そしてその御子神妻子8柱とのこと。

高千穂皇神 天津彦火瓊瓊杵尊、木花開耶姫命
彦火火出見尊、豊玉姫命
彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊、玉依姫命
十社大明神 三毛入野命、鵜目姫命(うのめひめのみこと)
太郎命(たろうのみこと)※御子太郎命、高千穂太郎命 とも
二郎命(じろうのみこと)
三郎命(さぶろうのみこと)
畝見命(うねみのみこと)
照野命(てるののみこと)
大戸命(おおとのみこと)
霊社命(れいしゃのみこと)
浅良部命(あさらべのみこと)

社伝によれば、三毛入野命の子孫が長く神社を守ったとありますので、この地域の祖神とも言えます。高千穂郷88社の総社です。

高千穂神社 本殿 裏側

そして本殿を後ろに回り込みまして、上部中央に・・

高千穂神社 本殿 兎

見返りながら跳ねる神兎!なかなかの美兎です。

高千穂神社 本殿 兎

女性的なしなやかな曲線の耳と後ろ脚。飛び越える波もどこか優しさを感じます。波兎の彫刻は、比較的左へ向かって跳ねることが多いのですが、こちらは右跳びですね。

さて、どうしてこの位置に兎なのか・・・。卯の東の方角を表すこともよくあるのですが、兎は本殿から西北西側ですので、違うようです。

高千穂神社 本殿 蟇股彫刻 後ろ側

この本殿の彫刻の組み合わせ、かなり独特です。一番左側が「炭焼き小屋」でしょうか。その隣が「雲間から顔を出す獅子」そして兎を挟み、植物(枇杷?)、そして再び「雲を飛び越える見返りの獅子」。

高千穂神社 本殿 彫刻 右側

ちなみに先ほどの本殿右側は、上部に「鳳凰」。その下に「瓜をかじって穴を開ける鼠(?)」と「威嚇するイタチもしくは鼠と瓜」。瓜もぶら下がっているものと、転がっているもので種類が違うようです。

高千穂神社 本殿 彫刻 左側

反対側には、上部が「猿と藤の花」。下部に「鉄砲を構える猟師」と「狙われている藪から出てくる猪」。

・・・これらの彫刻の意味・・・難しいですね。なかなか見ない組み合わせです。波兎だけ見れば、火伏せの意味なのかもしれませんが、他の彫刻を含めてこめられた願いはなんでしょうね。

高千穂神社 本殿

そういえば、この本殿の左側、脇障子の位置に小社がくっついています。

高千穂神社 本殿 左側 小社

こちらは稲荷社と呼ばれています。事勝国勝長狭神(ことかつくにかつながさのかみ)と大年神(おおとしがみ)が祀られているとのこと。日本書紀では、事勝国勝長狭神は瓊々杵命が高千穂に降臨した後のエピソードに登場します。良い国を探し求めて「吾田の長屋の笠狭岬」にやってくると、事勝国勝長狭が現れ、瓊瓊杵尊が「国はあるか」と尋ねると「ここにあります、思いのままに」と返したので、そこに留まることとなりました。別名を塩土老翁としています。塩土老翁は、この後、山幸彦を助けたり、神武天皇東征の際に東方へと導いた神とされます。

高千穂神社 荒立社

本殿の隣には小社があり、こちらは荒立神社と四皇子社。荒立神社は、天孫降臨で瓊瓊杵尊を導いた猿田彦命と、導きに応えた天鈿女命(あめのうずめのみこと)を祀っています。また、四皇子社は、神武天皇とその兄弟四柱であり、五瀬命(いつせのみこと)、稲氷命(いなひのみこと)、三毛入野命(みけぬのみこと)、佐野命(さぬのみこと:神武天皇の幼名)を祀っています。

高千穂神社 神楽殿

境内の神楽殿では、「高千穂の夜神楽」の準備がされています。秋の実りに感謝し、来年の豊作を祈願するため、神々に33の演目(神楽三十三番)を奉納します。国の重要無形民俗文化財。是非見たかったのですが、時間が無く今回は断念・・。

高千穂峡

高千穂峡

さて、高千穂神社の裏手にある高千穂峡へと降りてみます。
溶結凝灰岩の岩盤を五ヶ瀬川が削って作った渓谷沿いに、数多くの柱状節理と呼ばれる「柱」が並んでいます。紅葉も相まって絶景ですね。こちらは「千人の屏風岩」と呼ばれています。

高千穂峡

こちらは「玉垂れの滝」。柱状節理の隙間から、いく筋もの岩清水が流れ出ています。

高千穂峡

渓谷の下まで降りてきてみると、観光地っぽい感じ。引き締まった神域も好きですが、こういう人の温かい楽しい感じも好きです。

高千穂峡

売店が並んでいます。ヤマメの塩焼きに流しそうめん、焼団子。

高千穂峡

焼団子、うまし。クルミ味噌の甘みとコクがたまりません。

高千穂峡

売店近くの橋から五ヶ瀬川の覗き込むと、とても有名なこの景色。
エメラルドグリーンの美しい渓谷に、流れ落ちるのは「真名井の滝」です。

高千穂峡

渓谷沿いに進んでいくと、様々な柱状節理が見られます。

高千穂峡 柱状節理

ギリシャを思わせる迫力ある太い柱があったり、細長い竹細工のようなカーブした柱の集合体だったり。神が作った芸術です。
科学的にいえば、火砕流が溶結する冷却速度などで決まってくるらしいんですが、それすら物理と化学を統べる神の為せる技でしょう。

高千穂峡

真名井の滝を反対側から。幽玄という言葉が適当でしょうか。この地域に神が降りたと言われるのは十分信じられる美しさです。

高千穂峡 鬼八岩

先程の「千人の屏風岩」の川床まで降りてきました。巨大な岸壁がそびえ立つ手前に、苔をまとって注連縄をされた巨石があります。

“農耕神”鬼八の伝説と祭り

高千穂峡 鬼八岩

こちら「鬼八の力石」と呼ばれています。高千穂神社の祭神・三毛入野命(みけぬのみこと)に倒されたこの地の悪鬼「鬼八」が、力自慢に三毛入野命に向かって投げたと伝わる岩です。

鬼八は、高千穂にある二上山の乳ケ窟を根城にして、村人達を苦しめていた悪党。鵜之目姫(うのめひめ)という美しい女性を奪い山へ閉じ込めていた。そこへ大和から戻ってきた三毛入野命が、山の中で姫と出会い、姫の願いにより、鬼八を討つべく乳ケ窟へ向う。力自慢であり足の早い鬼八と三毛入野命の戦いは壮絶なものだったが、最後には鬼八は倒される。ところが鬼八は切っても生き返ってしまうため、その体を3つに分け、埋めることでようやく退治できた。ただ、その怨霊は強く、たびたび村へ早霜を降らせ、農作物へ害をなす。そこで、この怨霊を鎮めるために、高千穂神社では毎年「猪掛祭(ししかけまつり)」を行っている。(あちこちから要約)

高千穂 猪掛祭高千穂内には、鬼八を埋めたという鬼八塚が3つありまして、それぞれ首塚、手足塚、胴塚と呼ばれています。現在は、鬼八を鎮める猪掛祭は毎年旧暦12月3日に執り行われ、猪を一頭捧げるそうです(動画がこちらにありました)。そういえば、本殿にあった彫刻の猪、この神事と関係しているのかもしれません。実はかつては乙女を人身御供にしていたと伝わり、戦国時代にこの地方の城主により改められたとのこと。

また三毛入野命に助けられた鵜之目姫は、命の妻となり、先述の十社大明神として祭神となっています。

鬼八の伝説は、実は隣の阿蘇にも残っています。こちらでは、阿蘇の神である健磐龍命(たけいわたつのみこと:神武天皇の孫)の従者として語られています。

健磐龍命は阿蘇山から弓を射るのが日課であった。鬼八はその矢を拾ってくる役目を仰せつかっていたが、連日のことに疲れ果てて、ある日、100本目の矢を足の指にはさんでを投げ返した。命は無作法に激怒する(命に当たったとも)。鬼八は逃げるが、捕らえられ首をはねられてしまう。しかし、その魂は天に登り、早霜を降らせる祟りを引き起こした。人々は霜宮を作って、鬼八の霊を祀るようになった。(あちこちから要約)

阿蘇 霜神社 火焚き神事阿蘇市の霜神社では、鬼八を鎮めるために「火焚き神事」が執り行われます。こちらは8月から10月の稲の刈り取り前に、早霜が降りないようにする祭りと伝わります。今でも、近隣の女の子が、59日間火を焚いて御神体を温めるとのこと(昔は学校に通わず、でしたが最近は、通いながらの神事となるようです)(様子はこちらに)

祟りをなす神霊を祀る形は、日本各地に見られます。祇園信仰の牛頭天王(スサノオと習合)もそうですし、「御霊信仰」と呼ばれる菅原道真(天満宮など)・平将門(神田明神など)もそうですね。最初から厄災をもたらす神の場合もありますし、なんらかの非業の死を遂げた人の怨霊であったりもします。

鬼八はどうなのか。
日本神話においては比較的頻繁に登場する「まつろわぬもの」すなわち、当時の政権に従わなかった者たちだったのではないか、という考察が多く見られます。土蜘蛛、蝦夷、熊襲と呼ばれる人々。この地域においては、元からいた鬼八を中心とする勢力が、ヤマトからやってきた三毛入野命や健磐龍命を祀る勢力に倒されたことを伝えている、という説です。

地元の伝承によっては鬼八側に立ったものもあり、「走健(はしりたける)」と呼ばれる鬼八には「阿佐羅姫(あさらひめ)」と呼ばれる美しい姫(妻)がいたが、ある日三毛入野命が水鏡に写る美しいその姫の姿を見て、鬼八から奪おうとした、というもの。結果倒され祟りをなすようになった鬼八のために、高千穂でも阿蘇でも、乙女によってそれを鎮めているということらしい。

なんにしても、先住の神は、大事に祀ることで、禍いを退けると同時に利益をもたらしてくれるのです。元からいた神が、よりその土地の気候などを統べる力を持っているのでしょう。鬼八は結果、厳しい高地の農業を守ってくれる神として、地元に大切にされていることを感じます。

高千穂神社 本殿 左側 小社そういえば、阿蘇には霜神社に鬼八の御神体がありますが、高千穂においては? もちろん鬼八塚は墓であるはずですが、日本は墓と祭祀する場所(御神体を置く場所)は一般に分けてきました。大切にされている神霊が神社を持たないのは少し違和感があります。
と、神事の映像を見ていて思ったのですが、高千穂神社の猪掛祭においては、イノシシを神社の拝殿で捧げているのです(その後小分けにした肉を塚へ運ぶ)。ひょっとして鬼八の御神体はこの本殿にあるのでは?とすると、例の「稲荷社」あたりに鬼八がいらっしゃるのでは?「稲荷社」は多くは倉稲魂神(うかのみたまのかみ)を祀る社ですが、「五穀を司る神」であり、高地農業に恵みをもたらす鬼八にはふさわしい場所であるかもしれません。一緒に祀られている「大年神」も穀物神の神性を持っていますし、同じく祀らないと祟るようです。(考えすぎでしたらすみません)

ちなみに例の彫刻の組み合わせの意味を探して、鬼八周りも色々と調べていたのですが、結果出てきませんでした・・。猪は、稲荷社にも近いですし猪掛祭にちなんだものかもしれません。ですが肝心の神兎は不明でした・・。また情報があれば・・。

高千穂峡

高千穂の山で、宮崎から熊本へ抜ける時、かの俳人・山頭火がよんだ歌が「分け入っても分け入っても青い山」だそうです。漂泊でいつ終わるかもしれない人生の旅、しかしその周りには生命力と神秘に溢れた山々が息づいている。高千穂の神秘は実に奥深いのです。

神が降臨する槵觸神社

槵觸神社 鳥居

せっかくなのでもう1箇所神秘の場所を・・。高千穂神社から程近い、槵觸神社です。「槵觸」は「くしふる」と読みます。古事記において天孫・瓊瓊杵尊が降臨したのが「筑紫日向高千穂之久士布流多気くじふるたけに天り坐しき」とあり、そちらに比定される山となります。古くから「くしふるの峰」自体を祀っていましたが、元禄7年(1694年)に社殿が建立され神社となりました。

槵觸神社 参道

高千穂神社に比べると比較的人が少ないかもしれません。何かもう少し緊張感があるような。

槵觸神社 拝殿

階段を登った先の拝殿です。より厳粛。注連縄は左(逆)から三五七、逆ねじり。あまり気にしなくていいのかな・・。

槵觸神社 本殿

本殿には高千穂神社と同様、多くの彫刻がされています。

槵觸神社 本殿槵觸神社 本殿

どうやらこちらは神獣+「二十四孝」のようです。中国において後世の範として、孝行が特に優れた人物24人を取り上げた書物ですね。祭神は境内案内板によれば、

祭神 天津彦々火瓊々杵尊(あまつひこほににぎのみこと)
天児屋根命(あめのこやねのみこと)
天太玉命(あめのふとだまのみこと)
経津主命(ふつぬしのみこと)
武甕槌命(たけみかづちのみこと)
※案内板では、瓊々杵尊が真ん中になっており、右手に天児屋根命と経津主命、左手に天太玉命と武甕槌命。

古事記においては、瓊瓊杵尊に随伴した神々は、

爾天児屋命、布刀玉命、天宇受売命、伊斯許理度売命、玉祖命、并五伴緒牟支加而天降。

とあり、そのうちの2柱の天児屋根命と天太玉命をこちらでは共に祀っています。それぞれは中臣氏の祖・忌部氏の祖。
加えて武神である経津主命と武甕槌命を祀っているのですが、なんででしょ?(経津主命は物部氏によって、武甕槌命は中臣氏によって他所では祀られているのですが、案内板の記載位置も氏族もずれてますし・・)

槵觸神社から高天原遥拝所へ

神社の近くには「高天原遥拝所」があるらしい。高天原(たかまがはら)といえば、天照大神がいらっしゃる天上です。え?見えるんですか? それは行かねば・・。向かってみます。

高天原遥拝所

神社から5分ほど丘に登った辺りに、垣根で囲った神域が。

高天原遥拝所

こちらが高天原遥拝所。見晴らしという意味では、木々に覆われてしまって先は開けてはいないですが、木々の隙間からは光がさし、何かすっきりした気持ちになります。案内板によれば「天孫降臨後、諸神がこの丘に立って高天原を遥拝された所と伝えられる」とあります。つまり降臨してきた方向を振り返った、ということになるでしょうか。

高天原遥拝所

ちなみに方向的にいうと、この遥拝所は北西を向いています。その先には阿蘇山が。とすると、高天原は阿蘇のカルデラの中ということになるんでしょうか。

高天原遥拝所

いや、方向は関係ないかもしれませんね。遥拝所にある「高天原」と記された碑。こちらを通して、天上を感じるのが良いかも知れません。

近くに「高千穂碑」(この地域が天孫降臨の地であるという説明文)や、神武天皇のご兄弟(三毛入野命もいらっしゃいます)が生まれたとされる「四皇子峰」もあります。ただ峰はあるのですが、はっきりしたピークがあるわけではないので、ここがピンポイント!と言えるところは無いようです。

「高千穂」がどこかについては、古来より論争があり決着はついていません(本居宣長も匙を投げました)。有力なのが、こちらの高千穂と、宮崎と鹿児島の県境の「霧島」であるとのこと。

『日本書紀』神代巻下の天孫降臨段第1の一書に見える「高千穂の槵觸之峯(くじふるのたけ)」や、第2の一書の「槵日高千穂之峯(くしひのたかちほのたけ)」、先述の『古事記』の「筑紫の日向の高千穂之久士布流多気(くじふるたけ)」辺りの記載だと「高千穂」という地名は特定されていますが、どこかは分かりません。どちらかというとその後の移動を見ると「霧島」側へ有利な気はします。

が、鎌倉時代中期に書かれた日本書紀の注釈書「釈日本紀」(卜部兼方著)の中で、『日向国風土記』逸文として、

日向國風土記曰 臼杵郡内 知鋪郷 天津彦々火瓊々杵尊 離天磐座 排天八重雲 稜威之道々別々而 天降於日向之高千穗二上峯 時 天暗冥 晝夜不別 人物失道 物色難別 於兹 有土蜘蛛 名曰大鉗小鉗二人奏言 皇孫尊 以尊御手 拔稻千穗爲籾 投散四方 必得開晴 于時 如大鉗等所奏 搓千穗稻 爲籾投散 即天開晴 日月照光 因曰高千穗二上峯 後人改號知鋪

として、臼杵郡『知鋪郷』の話として、ズバリと高千穂がこの地域であることが伝わっています。これは大きい。

この地域には、天上での神話ではありますが「天の岩戸」や「天安河原」などもあり、神々との関わりの深さを感じます。
30年前に来たときには、知識も無く、正直神々への興味も少なかったため、ピンと来なかったのですが、改めて来てみると、神秘がゆえの「畏怖」に近い感情も抱かされました。冒頭で述べましたが神秘の景色は変わりません。が、心象の風景は変わっていくのです。

そのうち「霧島」へも行ってみつつ、それぞれ神々の足跡を感じたいと思います。

さて・・・

高千穂 神代庵

槵觸神社のすぐ近く、『神代庵』というお蕎麦屋さんを見つけました。

高千穂 神代庵

民家のようなお店で、お蕎麦をいただけます。

高千穂 神代庵 蕎麦

かなりご高齢のおじいさんが厨房に立ち、おばあさんが接客をしてらっしゃいます。ゆっくりと待っているとやってくる十割蕎麦。素朴であり、何か昔話の中に入り込んだような感覚でした。

(参拝:2021年11月)

【メモ】
そういえば、日本神話において「天孫降臨」の前段は「出雲の国譲り」です。なんで出雲で国を譲らせたのに、わざわざ九州へと降臨するのか・・・。もう一柱の降臨神である饒速日命(ニギハヤヒ)も河内国へ降りています。出雲の勢力範囲外とは思われるのですが・・。神話と考古学の間の話ですが、興味は尽きませんね。

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