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十二所神社(神奈川県鎌倉市)

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紅葉もそろそろ終わりの12月初旬。久しぶりに鎌倉に来ました。肌寒いです。

源頼朝がこの地に幕府を開いた理由が、三方を山、南側を海に囲まれた天然の要害であったということ。確かに鎌倉の街から外に出るには細い山道を通らねばなりません。その山を東側へ入った奥に「十二所(じゅうにしょ)」なる地名があります。ちょうど東の外れといったところです。

地名の由来はこの地に鎮座する「十二所神社」。
有名な寺社が多い鎌倉なので、残念ながら目立たない存在。街道脇の山の端にひっそりと佇んでいます。

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小さめの階段を登ります。

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鎌倉特有の、崖を削って作ったそれほど広くないひな壇に、本堂が建っています。きれいに掃き清められており、地元に人に大事にされているのが伺われます。

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本堂もコンパクト。その向背の蟇股を見ると・・・

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!!見事な2柱の兎が跳ねています。
向かい合った表情といい、体のひねりといい、波のしぶきの生き生きとした表現といい、一級品。
右側の垂れ耳具合が、実に愛らしい。

祭神は、天神七代と地神五代。合わせて“12”代です。

天神七代 国之常立神(くにのとこたちのかみ)
豊雲野神(とよくもののかみ)
宇比地邇神・須比知邇神(うひぢにのかみ・すひぢにのかみ)
角杙神・活杙神(つのぐひのかみ・いくぐひのかみ)
意富斗能地神・大斗乃弁神(おほとのぢのかみ・おほとのべのかみ)
淤母陀琉神・阿夜訶志古泥神(おもだるのかみ・あやかしこねのかみ)
伊邪那岐神・伊邪那美神(いざなぎのかみ・いざなみのかみ)
地神五代 天照大御神(あまてらすおおみかみ)
天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと)
彦火瓊々杵尊(ひこほのににぎのみこと)
彦火々出見尊(ひこほほでみのみこと)
鵜苅葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)

明治以前は「熊野十二所権現社」と呼ばれていたとのこと。「権現」とは、仏教と神道が混ざり合う中で生まれた「本地垂迹思想」の考え方で、“権”は“仮の”という意味を表します。すなわち“仏が仮の姿で現れた”のが、神道の神様であるという考え方です。
熊野神社の十二の権現は、熊野比丘尼によって中世(12~16世紀)に、日本中に広められました。そのうちのひとつと考えられます。

現在、オリジナルの熊野大社では、夫須美大神(伊邪那美大神)、速玉大神(伊邪那岐大神)、家津御子大神(素盞鳴尊)、天照大神、忍穂耳命、瓊々杵尊命、彦穂々出見尊、鵜葺屋葺不合命、軻遇突智命、埴山姫命、彌都波能賣命、稚産霊命の十二柱を祀っています(つまり、熊野神=イザナキ・イザナミ・スサノオ(ちょっと変な組み合わせ)、天照大神からの天津神、イザナミの最後の子神)。
一方、この十二所神社では、イザナキ・イザナミ以前の神代七代(かみよななよ)(古事記版)が“天神7代”とされ、天照大神系統で神武天皇の直前までを“地神5代”としているようです。

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それにしても、なぜ、兎なのでしょうか?
熊野神社の神の使いは、3本足の八咫烏であると言われます。古来中国から伝わってきた思想として、太陽には烏が住み、月には兎が住むというものがありますが(そのうちまとめます)、このように兎を単独で押し出したりはしません。

ネットには、この神社が、鎌倉の東の端っこにあるため、東=卯=兎が掲げられたのではという説がありました《こちら》。さもありなんです。
波に兎の組み合わせは「火伏せ」の意味もありますので、単にその可能性も。

もう一つ、実は兎神は、疱瘡神と一緒に祀られることが、日本海側の神社で事例が多くあります(因幡の素兎伝説で、皮を剥がれても治ったことから、疱瘡(天然痘)の脅威から守ってくれる、と言われていたらしい)。

境内は崖を削って作られていますが、

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崖をくり抜いた祠の中に、疱瘡神がありました(左側、ちなみに右側は宇佐八幡様(多分)です)。

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ちなみに疱瘡神の祠の左側にある小社は「山の神」です。
関東以北では「十二様」と呼んでいることもあり、日本のかなり古い信仰のひとつです。山の神は女神であり、また荒ぶる神でもあるため、たとえば「12日は山に入らない」「神事に女性は参加しない」等、各地で違いますが禁忌が存在します。醜い姿の女神であるとも言われ、より醜いと言われているオコゼを供えることも。

この「十二」の一致。この「十二」をつなぐのが、中国の「射日神話」です。かつて太陽が複数あり、まとめて昇ってきたので弓の名人が打ち落としたという話。射日神話の中で、太陽には烏が住むとされ、熊野神社の八咫烏の源流にはこの神話が伺われます。そして「十二様」では、新年2,3月の12日に矢を射る儀式が残っている場合があり、何かの関連を伺わせます。多くは意味が失われ、変わってしまっているのですが、日本の信仰の源流に見え隠れする太陽への信仰はとても興味深い。太陽と烏を追いかけて行くと、月と兎がよく現れます。

この辺り、神兎研のひとつの道標となるかもしれません。

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